クソ野郎
潜在意識には主語がない。
そのため、普段から他人を褒めてばかりいる人は自分を褒めていることになるし
他人を貶してばかりの人は自分をいじめていることになるそうです。
読んだ時は
なるほど、じゃあ人を褒めるようにしなきゃと思ったのですが
主語がないから自分に返ってくると言われても、あまり実感出来た経験がないなと気づきます。
脳科学的にそうなんだろうけど
やはり自分の体験がないと完全に腑に落ちるところまでいきません。
こちらの本を読んで自分の中で納得出来ました。
オードリー若林さんのエッセイです。
この中で出てきた以下の一節。
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前作のエッセイで、スターバックスで注文の時に、「グランデ」と言えないと書いた。
何か自分が気取っているような気がして、恥ずかしかったのである。
「L」は言えるのだが「グランデ」は言えない。
自意識過剰である。
自意識過剰なことに対して、「誰もみてないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。
誰も見てないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。
’’自分が見ている”というのはどういうことかと言うと、
「グランデとか言って気取っている自分が嫌だ」ということだ。
こういう気持ちはどこから来るかというと、まず自分が他人に
「スターバックスでグランデとか言っちゃって気取ってんじゃねぇよ」
と心の内で散々バカにしてきたことが原因なのである。
他者に向かって向いた牙が、ブーメランのように弧を描いて
自分に突き刺さっている状態なのである。
昔から言っているのだが、他人の目を気にする人は”おとなしくて奥手な人”などでは絶対にない。
心のなかで他人をバカにしまくっている、正真正銘のクソ野郎なのである。
その筆頭が、何を隠そう私である。
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おれのことじゃん。
って読みながら思いました。
これなら思い当たる節が有りまくりです。
「他人を貶してばかりの人は自分をいじめていることになる」
がどういうことか、完全に腑に落ちました。
いろいろな本を読んでいるとこのよう点が線になる(というと大袈裟ですが)瞬間があります。
本を読んでいて1番楽しい瞬間です。
現在クソ野郎である自分からの脱却を目指して
他人を褒める人を目指します。
それではまた。
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